ニコンの本当のねらいはD700だった。そう思う。
D300、D3はもすべてD700の発売のためだけにあった。D300はボディの確認、D3はニコンFXフォーマットの性能のアピール用と小さなボディに組むための時間稼ぎ。

D300の金額だと利益もたかが知れている。D3の金額だと販売量に問題がある。そこで性能と販売のバランスの取れたD700の登場。
多分売れると思う。

そしてもう一つニコンにとって重要なことがある。それはレンズ。これでフィルムカメラ用にレンズを開発する必要がなくなった。逆にフィルム用のカメラが生き残る可能性が出てきた。これはアナログファンにとっては朗報です。

恐らく流れはDXからFXへ。
すべて最初からシナリオ通りのニコンの戦略、マーケティングの勝利です。
今まではシナリオ通り。

そしてこれからキャノンの反撃が始まる。

d700
Nikonの壁紙より



神戸最終日の5月6日に、カミさんの今回の旅行の目的でもあった夙川、苦楽園近くの「器+CAFE anjico」に寄りました。
2・3年前まで横浜にいた人でカミさんの知り合いです。神戸に越してからこのお店を開きました。住宅街の奥にある静かなところです。
幾つか買ってきました。コーヒー好きの自分はコーヒーカップをひとつ買ってもらいました。

駐車場はありません。ということで最後はコマーシャルでした。

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nikon d200+af-snikkor24-70mmf2.8g

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このコーヒーカップを買ってもらいました。
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nikon d200+af-snikkor24-70mmf2.8g


これで神戸の記事は終わりです。お付き合いありがとうございました。


2007年11月14日、自宅ベランダから。
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epson r-d1+ultron 28mm f1.9

それは突然だった。カミさんの母が逝った。
20数年前、ご主人を亡くし一人で熊本で暮らしていたカミさんの母を横浜に呼んだ。高齢になって知り合いもいないところにくるのは辛かったと思うが、自慢の長女と一緒に住めるという喜びもあったと思う。子供のいない自分たちに一人家族が増えどこに行くのも3人一緒だった。
数年前から少し変な言動があらわれ始めた。カミさんの反応はいち早く、いろいろなことを調べ始めた。介護のこと、病院、いろいろな施設。アルツファイマー病という病名と介護の認定、そして幸いなことに自宅から車で15分くらいのところに出来たばかりのグループホームに入れるようになった。カミさんの力はすごい。自分には到底できない。
それからもカミさんはすごかった。ホームでの出来事、対応など不満があると必ずホームに言う。ただ文句を言うのではなく、例えば昼と夜の係りの人の連携が悪いと連絡帳を作らせ、夜の人への連絡事項や昼あったことなどをそこに書かせるなど理のかなったことだった。それからはカミさんに対するホームの対応は腫れ物に触るようなものだった。当然、義理母に対する対応も他の誰よりも大事にされていたと思う。このホームにとってカミさんは最大の要注意人物だったのは間違いない。

今月初め、ホームで転倒。頭を打ち病院で検査をした結果、頭に出血が確認され翌日手術。
11月13日、快晴とても暖かい日だった。風邪を引いていたカミさんはいつものように病院に行って少し母を見て家に戻る途中、すぐに戻って欲しいという電話がかかってきたそうだ。
カミさんから自分にすぐ来て欲しいという電話があり芝浦の事務所を閉め横浜に向かった。病室の前の廊下にカミさんがポツンと座っていた。自分を見つけると腕でばつ印をして「だめだった」といった。
14日、義理母に着せる服をホームに取にいった。2階の入り口の正面にソファーがあり、毎週土日のどちらかは必ず訪問していたので義理母はいつもそこに座って待っていた。しかしこの日はそこに姿はなかった。部屋に入ると主を失った部屋はとても寂しかった。
15日、お通夜。16日、告別式。火葬場で火葬される直前、係りの人の「お別れです」という言葉を聞いて突然涙が溢れた。義理母は自分にとっての母になっていた。
全てが終わり自宅に戻ってカミさんが言った。「あーぁ、お母さんいなくなっちゃった。」
カミさんにとって実の母はどんな状態でいようとそこにいるということが前提だった。こんなに親を大事にする人を見たことがない。

今月に入ってからの一連の出来事に義理母の意思は何も存在しなかった。自分の意思とは別に他の人たちの意思で物事が進行していた。生きているというより生かされているという状態だった。
義理母の死から数日たってふと思った。最後の最後で母としての意思が働いたのではないかと。
「もういいよ。十分だよ。後は自分のために生きなさい。」娘に対してそういう意思の下に逝ったような気がする。そしてその顔は本当に安らかだった。